2009/10/28(水)
私は昭和63年4月にアイティーアイに入社いたしました。
最初の2年間は長崎で透析を担当していました。それから東京・アイティーシーに転勤させていただきまして早や20年が経とうとしています。東京弁も完璧に使いこなしすっかりチャッキ・チャキの江戸っ子になりきっていますが未だに『どこの出身ですか?』『九州ですか?』などという質問を頻繁に受けます。なぜ???
それはさておき、今から5年前の38歳の夏、クモ膜下出血で倒れ救急車で病院に運ばれました。ドクターからは『助かる可能性は30%です。』なんて、いわば死の宣告を言い渡され、一か八かの開頭手術を受けました。
その当時を振り返ってみると、私はお酒が大好きで毎日浴びるように(日本酒ならつまみ無しで軽~く一升は・・)飲み、朝からはジムに行き体に残ったお酒を抜くためにバーベルを上げて汗を流し、タバコは多い時で2~3箱吸い、徹夜での麻雀や土・日も競馬をし、それこそ寝る間も惜しんで仕事に遊びに明け暮れていました。当時仕事的にも順調でしたし、体力が人並み以上あることに過剰な自信を持ち、無理する事、無理できる事にカッコ良さを感じていたりもしていました。【順風満帆】である事に浮かれていたのも事実あったと思います。
傲慢な自信家がその死の宣告を受け天国に行きかけていた時、『修行が足らん!』と天国の神様から地獄ではなく地上に叩き落されたのです。
手術も大成功し五体満足に後遺症もなく社会復帰できたのですが、それは【波乱万丈】の人生の始まりでした。これがまた修行(辛い・きつい・悲しい・苦しいを解決していく事)する事が多くて多くて・・・。
クモ膜下出血とは私にとって修行する場を与えてくれると共に、どんな時でも『お陰様で生きています。』を素直に感じる事と何事にも『感謝する。』という大事な事を教えてくれた大変ありがたい?痛い痛い病気でした。
それからは九州に行く機会があるごとにお墓参りはするようにしていますし、神社に参拝するようになりました。数々の神社に行きましたが、それぞれに歴史があり素敵なエピソードがあるんです。神社は参拝し祈願するだけでなくその歴史を知る事で心が豊かにもなれる場所なんですよ。私が参拝しました中での2つの神社を簡単にご紹介したいと思います。
武蔵御嶽神社・・・東京都青梅市御岳山(標高:929m)にある神社。第10代崇神天皇の時代(紀元前90年)に創建され、古くから関東の霊山として信仰されているんです。鎌倉時代から江戸時代までの武将達からも信仰が厚く天正18年(1590年)徳川家康の命により南向きにあった社殿が西の護りとして東向きに改修されたそうです。
御祭神:櫛麻智命 大己貴命 小彦名命 日本武尊 廣國押武金日命
ケーブルカーもあるんですが自分の脚で登山して参拝してきました。たかだか900mくらいの山ですがきついのなんの。遭難するかと思った・・・。(参考までに長崎の稲佐山は333m。)ここでは、いくらきつかろうと道のりが長かろうと引き返すことなく到達するためにゆっくりゆっくりの一歩一歩!きつい・つらいがあったからこそ到達した時の感じられる大きな喜びと達成感を得られました。途中で疲れた時には休む事も必要で登山道の途中途中にある【馬の立て場:休憩場】で何度も休みました。
鶴岡八幡宮・・・神奈川県鎌倉市にある神社。源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりで、源頼朝公が源氏再興の旗揚げをして治承4年(1180年)に現在の鎌倉に創建。
御祭神:応神天皇 比売神 神功皇后
左に見えるご神木の大銀杏(樹齢1000年)は「隠れ銀杏」とも言われており1219年鎌倉幕府最後の将軍・三代源実朝がこの木に隠れていた公暁に暗殺されたという伝説があります。
その他にも歴史の話はいろいろあるのですが素敵なお話を一つ。源頼朝公の奥様は北条時政の娘・政子さまですね。源と北条ですから敵軍の娘です。すなはち最初は《お忍びの恋》だったんですよ。頼朝公は政子さまが忍んで会いに来る時の危険から守る為と安産を祈って政子さま専用道路の一段高い歩道を作ってあげたんですって。それが【段葛】なんです。
頼朝からの政子さまへ愛の形として精一杯の贈り物【段葛】
戦国時代の熱愛だったんですね。素敵なお話です。ちなみに頼朝が病に倒れた後、政子さまは出家なされたんですよ。
さて、最後に、私が『どこの出身ですか?』と質問される理由ですが、本物の江戸っ子に確認しました。私のイントネーションが東京ではないそうです。今後も、どこにいようとも九州男児の誇りとこのイントネーションを持って修行しつつも強く・楽しく後悔の無いよう精一杯生きて行こうと思っています。
ありがとうございました。。 次は 沖縄支店 津波君です。