今回、長崎支店の高橋大作さんよりご指名をいただきました、福岡支店の森山光です。
7月に長崎から福岡へ転勤し、めっきり連絡もとっていなかった長崎の先輩から連絡が入ると不思議と嫌な予感は当たるもので、逃げ続けていた徒然のご指名でした。
こちらで紹介できるような趣味もなく思い詰まっていましたが、自分を奮い立たせて締め切りの2日前に執筆しております・・・。ちょっと前に投稿されていた同期のKさんに乗っかって地元の紹介をしようと思います。
私は生まれは大阪で、生後10ヶ月で母の地元、長崎県に戻ってまいりました。育ったのは外海(そとめ)という町です。(平成16年より長崎市に合併しましたのでいまは外海町という表記はありません。)
よく海外でしょ?とか島でしょ?とかいじられてますが、海岸線を横目に長崎市の中心地からは1時間半ほどでたどり着きます。ドライブコースとしてはちょうどいいです!
長崎に住んでいる方はご存知かとは思いますが、雄大な角力灘に沈む夕陽がとても綺麗で有名な道の駅「夕陽が丘そとめ」が観光地として有名です。休日の夕方ともなるとカップルや家族連れでごった返しております。
夕日の写真はあえてアップしません。(取材不足ではありません。ぜひ1度足を運んでみてください。)長崎時代に同期のHくんとドライブで行ったのですが、この夕陽に感激しておりました。
そして道の駅夕陽が丘そとめのすぐ下にありますのが、遠藤周作文学館です!(写真の白い建物です)
名作『沈黙』の舞台となったのがこの外海地区で古くは隠れキリシタンの里だったのです。
沈黙の碑です。
拡大版
碑には 「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」 と作中の一節が刻まれています。
その名残か五島に負けじと外海町には教会がたくさんあります。
・ 黒崎教会
・ 出津教会
・ 大野教会
ユネスコの世界遺産暫定リストに掲載されている「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」のうちの3つが外海町に存在しています。
また、外海の教会を語るうえで欠かせない偉人がいます。その名もド・ロ神父です。
(本名:マルク・マリー・ド・ロ)
明治時代の出津教会の司祭で、孤児院や救助院を開設したばかりか貧しかったこの地区の人々のために私財を投げ打って職布・編物の工場やマカロニ・パン・素麺などの製造を行いました。宣教のみならず産業・社会福祉・土木・建築・医療・移住開拓・教育文化などに奉仕したそうです。現代でもその技術は受け継がれており外海の名物“ド・ロさまそうめん”として親しまれております。
ド・ロ神父の生地であるフランスのヴォスロール村は姉妹都市提携を結んでいます。何度か小学校にフランスの方が来られて交流会みたいなのがありました。そしてフランスにちなんで外海には三色の橋があります。
四谷河内橋
荒川橋
新神浦橋
私の育った神浦地区はこの教会群を過ぎた辺り、新神浦橋のある地区になります。神浦地区はかつて日本一の清流にもなった神浦川が流れております。神浦川はアユやテナガエビが生息しており、清流と周辺の豊かな自然環境を生かし、人と自然がふれあう水辺の空間としてそとめ神浦川河川公園が誕生しました。
夏場には多くの家族連れがやってきてとてもにぎやかになります。夏休みは海ではなく川で遊ぶのがこの地区の特徴です!
また、上流にある神浦ダムで行われていた鯉のぼり祭りが鯉・来い祭りと形を変えてこちらの河川公園で行われるようにもなりました。ちなみにこの鯉・来い祭りというネーミングは私の兄の同級生の案が採用されたものと聞いています。神浦地区はこの綺麗な神浦川に加え、おいしい魚が住む海、古くのままの山と自然が豊かな土地です。
神浦地区と西海市にまたがる長崎県民の森はさまざまな催し物が開かれる一大レジャースポットです。オートキャンプ場やアスレチックなどがあって子供のころから夏になると必ず出かけていました。おばあちゃんの家が近所なので。
また森林館なる建物では森の自然に関する資料などに触れ合うことができます。お子様がいらっしゃるご家庭のレジャーにかなりオススメです。
自分が毎年のように行っていたのは10年以上前のことなのでアスレチックが健在かどうかは定かではありませんが・・・
そしてそして、河川公園から県民の森へ向かう途中に、日本の棚田百選に選ばれた大中尾棚田が見えてまいります。
毎年町民体育祭のリレーで優勝を争っていたのが、我が向町とこの大中尾勢だったのです!!それが言いたいがために紹介しております!
他にも私のお気に入りスポットがありまして、神浦城公園から見る夕陽もかなり綺麗ですが、神浦地区が一望できる景色は壮観です!ちなみにふもとには母校である神浦中学校があります。
すぐ脇にあるお寺久本寺は私の同級生のご実家でして、毎年除夜の鐘をつきに集まっていました。同級生の父である住職は少年サッカークラブの恩師でもあります!ジャックダニエルしか飲まないというダンディなおじ様です!
また、外海町には池島という島がありまして、九州最後の炭鉱として2001年まで炭鉱が営業していました。閉山以降は人工の減少が目立っていましたが、最近では残された炭鉱の施設を使って海外の炭鉱マンへ技術指導を行ったり、池島譚歌という映画の舞台になったりしています。(夕陽が丘そとめの写真の海の最上部に位置する島です。)
いまではさながら長崎で有名な軍艦島のような雰囲気を感じます。廃墟と化した建物が並ぶ町並は非常に趣があります。こちらは島民の方はもちろんいらっしゃいます!
今回このような機会をいただきまして育った町のことを調べてみると新しい発見をすることもあり、改めて歴史と自然の豊かな外海の町が好きになりました。読んでいただいた方にも伝わって、足を運ばれる方がいらっしゃれば幸いです。この辺で元生徒会副会長のふるさと自慢を終了させていただきます。稚拙な文章で申し訳ありませんでした。次回は大学時代を過ごした群馬県高崎市バージョンを温めておきます。機会があれば・・・・
そして、私からの無茶振りに応えるのはもちろん、長崎支店時代の後輩で夜の女房役、最近佐賀への転勤が決まっててんやわんやしている中村耕介くんです!腹がよじれるくらい笑わせてもらいましょう!エイブル!!