2011/9/29(木)
いままでの徒然をみていますと圧倒的に趣味の話が多いんですが、特に紹介できるようなものがないので、佐賀鍋島藩の「葉隠」について少しお話いたします。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、少しお付き合い下さい。
「葉隠」とは、江戸時代中期 佐賀藩主鍋島光茂に仕えた佐賀藩士 山本神右衛門常朝の口述を、同じく佐賀藩士 田代又左衛門陣基が筆記し本にまとめた文章で11巻に記載されています。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
とういうフレーズが一般的によく知られていますが、その意味は「生きるか死ぬかの場面に際した 時、死を選ぶべきだ」 ということと、第2の意味として「一生は短いので、好きな事をして暮らすべきだ」 という生の側面も持っている。だから、この葉隠 はただの自殺奨励本とは違い、山本常朝は死に物狂いに生きて藩主に仕えなさいと言っています。何の理由もなく死ぬと言う事ではなく、死を常に覚悟してこそ 生が充実してくるということです。
「葉隠」には行動的な哲学から、日常の実践的な教訓、また恋愛についてなど幅広い事例が載っていて、現代社会にも通じるものもありますので、一例を紹介します。
○色々な事態を、前もって検討しておく事
○大事の思案は軽くすべし。小事の思案は重くすべし。
大事については平生から考え準備し、いざというときあわてず解決する。小事でも確固たる
理念のもとに選択しおろそかにしない。小事をおろそかにすると大事もあやうくなる。○武士はもっぱら身だしなみに気を配り、いつも討ち死にのつもりでいる。
何の身だしなみなしに討ち死にしたら、普段の気の緩みが表れ敵に馬鹿にされる。
○浪人は苦労も並大抵ではないと打ちしおれてしまいがちだが、いざ浪人になってみると案外大変ではなかった。
案ずるより産むが易しということですが、死に関しても、日常気持ちのうえで、死ぬ練習をし
ていれば、いざという時安らかに死ねるものです。今の人は死を身近な物と考えないが、死は生と隣りあわせである。そしていつその死が来るかかわからない。生きていなけれが
死ぬことはないし、生きていればいつかは死ぬ。だから葉隠では死の準備と覚悟を何度と
なく強調しています。
○人の一生は短いので、好きな事をして暮らすべきだ。
葉隠ではある所ではエネルギーを賛美し、行き過ぎる事さえ認めているが、社会の秩序、
和の精神、謙譲の美徳をたたえている。それに加えて、好きな事をして暮らせという。○15年たてば世間の様子も違うだろう。世の中はだめになっていくのだから、ふんばって努力すれ
ば、15年後くらいに役に立つようになる。15年など夢の間のようで、身養生さえしておけば
ぬきんでる事はたやすい。身養生とは、いつでも死ねる覚悟を心に秘め、最上の状態で戦えるように健康を大切にし、100%のエネルギーを保有し発揮する事である。
「死を覚悟しながら、精進して生きる」
これが初めの有名な一文の裏に隠された意味です。ほんの少ししか紹介できませんでしたが、興味のある方は一読してみてください。
参考文献 三島由紀夫「葉隠入門」
奈良本辰也「葉隠武士道の神髄」
本田有明「ヘタな人生より葉隠」堅い話になりまして申し訳ありません。一息いれましょう。
我が家の癒しキャットです。
名前はチャッピー ♀ 9歳
しゃべれる言葉
「おなかすいたよ~」
「早くごはん頂戴!」
ちょっとおすまし、美人猫でしょう
(親ばかです)
それでは、次回は鹿児島の中川支店長に引き継ぎさせていただきます。中川支店長快く引き受けていただきありがとうございます。とってもうれしかったです、よろしくお願いします。