2011/1/26(水)
徒然なるままに・・・それらしい趣味があまりない私。。。
ゴルフ・・・(年に二回)
ダイビング・(15年潜ってない)
麻雀・・・・(マニアすぎ)
パチンコ・・(ネタ的に不適)
フットサル・(徳永さん、岩永さんがネタにしてるし・・・)
こういう時の為に、まともな趣味の一つや二つは持っておくべきだなと、つくづく思います。
そんな中、年末に長崎に帰省した際の出来事を書かせて頂きます。
昨年末の雪は凄かったですね~!年末にこんな積もった経験ないし、
チェーン持ってないし、嫁さんの実家から出られないし、だけど二人の娘の
鼻息だけは荒い!!なにより大晦日の行動範囲が家の周辺10m以内は初でした。
らしく、坂道のいたる所で車の乗り捨て
も見ました。
<光風台>
気がついたらもう始まってます
近所の友達と雪合戦。
“すげーWiiに雪が勝った!!”
かまくら作りに挑戦じゃー!
“為せば成る!そこの平民バケツを持てー!”
と、嫁が武田信玄バリにゲキを飛ばします
かまくらってこんなに雪が
必要かって程、かき集めます
しかし、軒5件先でもかまくら作り
が始まり、次第にムキになります。
かまくらに、若干涙します。
娘“パパー!ママがこれまだ大きくするって”
父“・・・”
ちなみに、かまくらは秋田県に行われる小正月行事の一つで、年始に神を迎えもてなし、
かまくらにこもって物忌みの生活を送る事が本旨だったそうです。
私の実家に帰り、正月をつれづれに過ごしておりますと、父が
“曽祖父(ひいじい様)は石工ばしよって、作った石垣の残っとるらしか”
“ふーん”
“・・・”
“どこっ?”
徒然ネタにつかえるかも・・・と思い、ざっと100年前のしろものが
どうゆうものか、行ってみることにします。
現場に向かう途中、そういえば旧長崎街道がある事に気がつき、写真撮影。
(227km)の道のりで、九州では
第一の脇往還(江戸時代の五街道
以外の主要街道だった)らしい
ここは中学・高校時代の通学路でした。
やたら猫が多い道であります。
<中川町>
(1654年)に掛けられており、有
名な眼鏡橋の20年後に出来た
事になります。
その当時活躍していた人物
四代将軍家綱がまだ13才、芭蕉が
10才の頃に掛けられた橋を
渡っていただんですね
こんな所まで観光地にしてる)
上の場所はここら辺でしょうか?
番所があったらしく、龍馬や弥太郎も
通ったはずですね。
最後に、古橋の30m程下流の石垣が
ここであります。。。若干改修してましたが
確かに石工の仕事ぶりが見てとれます。
特に名前が彫ってあるわけでもなく、
本当かな?とも思いますが、ひいじい様が
こしらえたと思えば不思議といとおしく
感じられるのでした。
私の夢は天文学者か、地図にのる仕事がしたいと思っておりましたが、
石工 いいですね~、趣味としてはじめてみます。
次は筑豊営業所の山口君です、宜しくお願います!